※ブラジルブログなのに、ブラジルほとんど関係ないです。すみません。
「インフルエンサーになりたい」に違和感を感じる件
最近ツイッターをはじめました。やっとです。
FBやインスタと違い、流れてくる情報が浅くも膨大で、どう付き合っていけば良いのか考えている段階です。それでも今まで見ることの無かった世界や意見に触れられるのはとても有意義で楽しいものです。
そんなツイッター、プロフ欄やツイートにこんなことを書く人が結構います
「みんなに元気をあげたくて、インフルエンサーをめざしています」
「自分の考えを広めたくて、影響力をつけるためにツイッターがんばってます」
「ニコニコをみんなにおすそわけ。たくさんの人にニコニコをギブしたいな」
私のFBやインスタでの繋がりは、現実のつながりと結構近く、周りにこういう事を言う人間がいなかったため、正直違和感を感じました。
そして、(自称)インフルエンサーをめぐるトラブルを時々聞きますが、インフルエンサーを目指すのがこういう人達なら、そりゃトラブルも起きるなと納得もしました。
だって、「インフルエンサーになりたい」と公に言ってしまえる、薄い(ある意味ふてぶてしい)精神の人たちの最終形態が(自称)インフルエンサーなわけですから。
今回は、なぜ「インフルエンサーになりたい」に違和感を感じるのか掘り下げてみました。
「インフルエンサーになりたい」=エゴとナルシシズムの塊
インフルエンサーとは
そもそもインフルエンサーって何でしょうか?インフルエンサーを日本語にすると「影響者」。
つまり「インフルエンサーになりたい」は「自分が誰かに影響を与えたい」ということ。(自称)インフルエンサーは「自分は誰かに影響を与える」と考えてるという事ですね。
「影響」があるかは受け手次第
でも考えてみてください。
そもそも、あなたの言動や行動で相手に影響があるかどうかは、受け手である相手が決めることで、あなたがとやかく干渉することではないですよね。
あなたの行動が「結果として」相手に影響を与えることはもちろんあると思います。
でも、それはあくまで「結果」であって、相手に影響を与えることが「目的」となるのはあまりにエゴがすぎる、ナルシシズムがすぎませんか?
先ほどもかきましたが、影響があるかどうかは、本来受け手が決めることなのに、能動的に誰かに何か影響を与えようとする・与えられるとする事自体がエゴ(うぬぼれ)だと感じるのです。
そして、自分がそれをできる・できるようになりたいと考えることは、ナルシシズム(自己陶酔)の塊に感じるのです。
そのナルシシズムとエゴも、自分の中で完結されていれば別にいいんです。
それを「インフルエンサーになりたい」と公言し、相手におしつけるその精神が、ぺらっぺらで薄すぎるのです。
本物のインフルエンサー・自称インフルエンサー
トップブロガー・マナブさん
一つの発信が、何千の人に影響を与える本物のインフルエンサーはいます。でも、結果としてその人がインフルエンサーになっただけで、インフルエンサーになることは目的じゃないんだと思うのです。
その例がトップブロガーのマナブさんです。
ブログやプログラミングに興味のない人は知らないかもしれませんが、間違いなくこの手の分野ではトップレベルのインフルエンサーです。
マナブさんがブログやYoutubeで発信することをもとに、ブログの勉強をしている人も多いと思います。
マナブさんが情報を発信した・するのは、それでお金を儲けられるからです。自分のために情報を発信して、それが「結果」としてたくさんの人に影響を与えています。
Youtuber・ケミオさん
もう一つの例は、10代を中心に圧倒的な人気を誇るYouTuber・ケミオさん。有名になったきっかけは、友達用に撮った「あるあるネタ」。女子高生がやりがちな仕草をマネした動画をたくさん投稿していただけです。それが、若者を中心に共感・拡散され日本のトップインフルエンサーになりました。これも、元々は自分(と周りの人)のために情報を発信していたら、「結果」としてたくさんの人に影響を与えることになったということですね
Camila Coelhoさん
ついでにブラジルのインフルエンサーもご紹介しておきます。(ブラジルブログですしね!)Camila CoelhoはブラジルのYouTuberかつインスタグラマーです。彼女のインスタには約730万人ものフォロワーがついています。彼女は元々Diorといった化粧品メーカーの販売部員でした。そのメークプロセスやテクニックをYouTubeで紹介していくうちに、彼女のユニークなキャラクターもうけ人気になりました。このCamilaさんもYouTubeを始めたきっかけを「自分のテクニックを見せ付けたかったから」と語っており、ブラジル1ともいわれるインフルエンサーになったのは「結果」といえますね。
自称インフルエンサーと本物のインフルエンサーの違い
自称インフルエンサーの名前はわざわざだしませんが、たまに聞きますよね。ホテル等で「自分には、これだけのフォロワーがいるインフルエンサーです。だから、ただで泊まらせてくれたら、このホテルを自分のインスタで宣伝しますよ」と。で、ホテル側が拒否すると怒ってトラブルになると(笑)
本物のインフルエンサーと自称インフルエンサーの違いは、やはり「受け手」の評価があるかないかだと思います。
「自分が影響力があります」って自分から宣伝しないといけない時点で、公に対する影響力は薄いです。また、仮に影響力があるとしても、「受け手」がその影響力を必要としない・十分でないと評価したなら、その場面ではその人はインフルエンサーではないのだと思います。
インフルエンサーになる目的は何?
これだけインフルエンサーになりたい・自称インフルエンサーが増えた理由として、やはり「影響力の現金化」という面があると思います。
結果として(本物の)インフルエンサーになった人たちは、いわゆる企業の広報活動を引き受けたり、自分自身の商品を売ったり、自身の影響力を利用して稼いでいます。
今、インフルエンサーになりたいという人たち、何を目指しているのでしょう。
新興宗教の開祖にでもなりたいのでしょうか。それとも、自分の可愛さに絶対の自信を持っていて、自分を見たら一日中みんなハッピーでいられるとでも思っているのでしょうか。
結局、インフルエンサーになりたい目的とは(直接的・間接的に)お金を稼ぐということ。インフルエンサーになって影響を与えて、それを現金化したいということです。
お金を稼ぐという目的は何も悪いことではありません。みんな多かれ少なかれお金を稼ぎたいと思っています。
ですが「インフルエンサーになる」は受け手からの評価をうけての「結果」です。 それを「目的」にしてお金を稼ごうとする行為は、エゴとナルシシズムの押し付けでしかないと思うのです。
※本当に純粋に自分の可愛さを拡散したい・信仰を広めて人々を救いたい・自分を見ればみんな元気になると本気で考えている人がいれば、すみません。そのまま突き進めばいいと思います。そんな人はいつか本当のインフルエンサーになる気もします。
まとめ
自ら情報を発信すること、 大勢の人の目にふれるように努力することは大切だと思います。
ただ「インフルエンサーになる」の「結果」と「目的」を間違えると、おそらく多くの人が明文化しないまでも(エゴとナルシシズムの押し付けを感じて)違和感を感じるはずです。
インフルエンサーという「結果」を得たいのであれば、まずは自分が持っている能力や知識を最大限に発揮して、誰かに響く・役立つ情報を発信していくことを「目的」にしてやっていくのが一番ではないでしょうか。
最後に、色々書きましたが、結局いいたい事はこれだけです
「私にお前のエゴとナルシシズムを押し付けるな!鬱陶しい!」